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フォルム周辺地図フォルム周辺地図 このページでは、帝政期のフォルム・ローマーヌム(Forum Romanum)周辺の地図、建物名、解説、復元画像を掲載しています。 フォルム・ローマーヌムの位置は「ローマの地理」で確認してください。 |
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地図上の建物(番号)をクリックすると名称と解説に移動します。 現在のフォルム・ローマーヌム(Google Maps):航空写真 |
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ラテン語:フォルム・ローマーヌム(Forum Romanum)、イタリア語:フォーロ・ロマーノ(Foro Romano) 上図の名称と簡単な解説。 また、UCLAのCultural Virtual Reality Laboratory (CVRLab)が作成したデジタル復元画像を、著作権規定に基づいて利用しました。(This page uses digital models which are created CVRLab under the condition of the license.) |
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番号 | 日本語 | ラテン語 | 解説 | ||
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ユーノー・モネータ神殿 | Templum Iunonis Monetae | 紀元前343年に建設。 Moneta(モネータ)は忠告者の意味。この神殿でのちに貨幣を鋳造したことから、monetaは「貨幣(マネー)」という意味にもなった。 《参照:カピトーリーヌスの丘》 |
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至善至高のユピテル神殿 | Templum Iovis Optimi Maximi | 前6世紀頃に建てられ、前1世紀に再建。 ユピテルとユーノーとミネルウァという、ローマの三大神を祀る神殿。 《参照:カピトーリーヌスの丘》 |
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オプス神殿 | Templum Opis | 前2世紀頃(もしくは、それ以前)に建設。豊穣の女神オプスの神殿。 | ||
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フィデース神殿 | Templum Fidei | 前254または250年に建設。前115年に再建。 フィデースは「信義の女神」の意味。のちに、Fides PublicaもしくはFides Publica populi Romaniと呼ばれた。 |
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公文書館 | Tabularium |
前78年に建設。 |
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コンコルディア神殿 | Templum Concordiae |
前367年に建設、前121年、前7年に再建。 |
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ウェスパシアーヌス神殿 | Templum Divi Vespasiani |
ウェスパシアーヌスの息子ティトゥスによって建設が始まり、ドミティアヌスのときに完成。 |
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十二最高神の列柱廊 | Porticus Deorum Consentium |
前174年に建設。後367年に再建。 |
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牢獄 | Carcer | 前386年頃に建設。 拘留するための牢獄であるが、死刑も行われた。地下はトゥッリアーヌム(Tullianum)と呼ばれる。この名は、牢獄の一部を建設したと言われるセルウィウス・トゥッリウス(Servius Tullius)から、もしくはtullus(泉)から付けられたと考えられている。 |
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元老院議員集会所 | Secretarium Senatus | 元老院議事堂(クーリア・ユーリア、下記)建設時にアウグストゥスによって加えられた議事堂の一つ。 | ||
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ミネルウァのアトリウム | Atrium Minervae | クーリア・ユーリア(下記)建設時にアウグストゥスによって建てられた大広間。 | ||
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元老院議事堂 クーリア・ユーリア |
Curia Iulia |
前44年にユーリウス・カエサルによって建設がはじめられ、29年にアウグストゥスによって完成した。 |
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集会所 コミティウム |
Comitium | 元老院議事堂(クーリア・ユーリア)の前に定められた集会所。 元来野天だった。のちに円形にされて、その縁はロストゥラ(Rostra)と呼ばれ、そこから演説者が話した。 前2世紀までは古代ローマにおける政治の中心であったが、前145年に立法議会(comitia)の決議を隣のフォルムに移した。 集会所のそばに黒い石(ラピス・ニゲル)が置かれていた。これに最古のラテン語(前6世紀後半)が刻まれている。最初期の神殿か墓の跡と推定される。 |
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ユーリウス広場 | Forum Iulium | ユーリウス・カエサルによって設計された。前51年から建設がはじめられ、アウグストゥスによって完成した。 人口増加のためにフォルム・ローマーヌムが手狭になったので建設した。 |
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母なるウェヌス神殿 | Templum Veneris Genetricis | ユーリウス広場とともにカエサルによって建設されたウェヌスのための神殿。 Venus Genetrixは「母なるウェヌス」もしくは「女の先祖であるウェヌス」を意味する。この神殿は、カエサルがローマの祖アエネーアース(ウェヌスの息子)の子孫であることを意識して作られている。 |
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アウグストゥス広場 フォルム・アウグスティー |
Forum Augusti | アウグストゥスによって前2年頃に完成した広場。ユーリウス広場と隣接して建てられている。 ユーリウス広場と同様に、人口増加に合わせて作った。 |
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復讐神マルス神殿 | Templum Martis Ultoris | アウグストゥスによってアウグストゥス広場に作られた神殿。 復讐神マルス(Mars Ultor)に捧げられた神殿であることは、アウグストゥス自身がカエサル暗殺者に対する復讐者であることに関連づけられている。 また、ユーリウス広場に置かれたウェヌス神殿と同様に、マルスはカエサル、アウグストゥスの先祖であるロームルスの父親であることも意識されている。 |
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トラヤヌス広場 フォルム・トラーヤーヌス |
Forum Traiani | 皇帝が作った最後の、そして最大の広場。トラーヤーヌスによって後113年に建設された。 | ||
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バシリカ・ウルピア | Basilica Ulpia | トラーヤーヌスによって広場とともに作られたバシリカ。 ウルピア(Ulpia)とは、マールクス・ウルピウス・トラーヤーヌス(M. Ulpius Traianus )の氏族名の形容詞系。 |
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ネルウァ広場 | Forum Nervae | ドミティアーヌスによって作られ、ネルウァによって後97年に完成された。 広場であったが、通路としての役割が大きかった。ミネルウァ神殿があったのでパッラディウム(Palladium)と呼ばれることもある。 |
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ミネルウァ神殿 | Templum Mineruae | ネルウァ神殿とともにドミティアーヌスによって建てられた。 | ||
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バシリカ・アエミリア バシリカ・パウッリー |
Basilica Aemilia Basilica Paulli |
そもそもこの場所には商店街が建てられていた。前5世紀には「食肉店」(tabernae lanienae)と呼ばれ、前4世紀には「銀行」(tabernae
argentariaeと呼ばれた。またその建物が焼失した後に、「新商店街」(tabernae novae)と名づけられた。 |
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フォルム(広場) フォルム・ローマーヌム ローマ広場 |
Forum Forum Romarum |
ローマの中心である広場。一般には「フォルム(広場)」とだけ呼ばれるが、他との区別のために「フォルム・ローマーヌム」(Forum Romarum)と呼ばれることもある。 |
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演壇 ロストラ アウグストゥスのロストラ |
Rostra Rostra Augusti |
ロストラは演説を行なうための演壇。ロストラとは「船首」という意味。フォルムのロストラにはローマ軍が戦いで奪い取った軍艦の船首がはめ込まれていた。 |
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セプティミウス・セウェールスの凱旋門 | Arcus Septimii Severi |
後204年に建設。 |
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サートゥルヌス神殿 | Aedes Saturni |
ローマ共和政初期に建てられた神殿で、記録される中で最古の神殿。前42年に再建された。 |
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ティベリウスの凱旋門 | Arcus Tiberii | ゲルマニアに奪われていたローマの軍旗を取り戻したことを記念して、後15もしくは16年に建てられた。 軍旗を取り戻したのはゲルマニクスであったが、ティベリウスの治世だったので彼の凱旋と定められた。 |
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バシリカ・ユーリア | Basilica Iulia |
この場所には、「旧商店街」(Tabernae Veteres)と「バシリカ・センプローニア」(Basilica Semplonia)があった。旧商店街は聖道(Via
Sacra)に沿って横長に広がっており、その後方のカストル神殿側(地図:30)に小さなバシリカ・センプローニアが建てられていた(前170年建設)。 |
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アウグストゥス神殿 | Templum Divi Augusti | 死後、神格化されたアウグストゥスのために建設された。ティベリウスが着工し、カリグラのときに完成した。 正確な場所はいまだ不確か。以前にはアウグストゥス神殿はカストル神殿(地図:30)の後ろ、パラーティーヌスの丘のふもと、ガーイウスのアトリウム(地図:33)の脇あたり、であると考えられていた。しかしこの場所の建物は別のものであり、バシリカ・ユーリアの南西に位置するこの場所にあったと推測される。 |
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(30) 地図へ |
カストル神殿 | Templum Castorum |
ディオスクーイー(カストルとポッリュークス)(ギリシア語:ディオスクーロイ、カストール、ポリュデウケース)を祀った神殿。前484年に完成。 |
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(31) 地図へ |
ユーリウス神殿 | Templum Divi Iulii (Aedes Divi Iulii) |
ユーリウス・カエサルの神格化が元老院で承認されたあと、彼のためにアウグストゥスが前29年に建設した。 |
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(32) 地図へ |
新道 | Nova Via | 緑線はパラーティーヌスの丘の中腹に作られた道。元首政(帝政)以前には、名前が付けられた道は「聖道」(Sacra Via、地図:43)と「新道」(Nova Via)しかなかった。 新道は聖道から分岐するパラーティーヌスの丘の東端から、西端までウェスタのアトリウム(地図:38)の上まで(ここは以前は聖なる林であった)続く。 |
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(33) 地図へ |
ガーイウスのアトリウム | Atrium Gai | 第3代元首、カリグラ(ガイウス・ユリウス・カエサル・アウグストゥス・ゲルマニクス)はパラーティーヌスの丘のティベリウス邸をカストル神殿側に拡張してガーイウス邸を建設した。その邸宅のアトリウムであったと考えられている。 | ||
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アグリッパ倉庫 | Horrea Agrippiana | アグリッパによって作られた倉庫。 | ||
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アウグストゥスの凱旋門 | Arcus Augusti |
前31年に行なわれたアントニヌスとクレオパトラに対する戦い、アクティウムの海戦の勝利を記念したアウグストゥスの凱旋門。
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ユートゥルナの泉 | Lacus Iuturnae | ユートゥルナは泉のニンフ。カストル神殿(地図:30)とのかかわりが深い。「カストル神殿」の解説を参照してください。 | ||
(37) 地図へ |
ウェスタ神殿 | Aedes Vestae |
ローマにおけるもっとも古い神殿のひとつ。現在のものは後191年に修復されたもの。
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ウェスタのアトリウム ウェスターリスの館 ウェスタの巫女の館 |
Atrium Vestae Domus Vestalium |
ウェスタのアトリウム(Atrium Vestae)は、共和政末期にはウェスタの巫女(ウェスターリス)の館を意味する。しかし元来は、ウェスタ神殿(地図:37)、聖なる林、最高神祇官(pontifex maximus)の公邸(domus Publica)、宮殿(Regia)を含むウェスタの神域全土を指した。 聖なる林はアトリウムとパラーティーヌスの丘の間にあったが、開発のために喪失した。 ドムス・プーブリカ(domus Publica)は、最高神祇官(pontifex maximus)の公邸としてアウグストゥスの治世まで存在したが、前12年にアウグストゥスが公邸をパラーティーヌスの丘へと移した為になくなった。その後ドムス・プーブリカの建物はウェスタの巫女の居住地として提供された。 宮殿(Regia、地図:39)は前36年にドミティウス・カルウィーヌスによって、独立した建物として新築された。 以上の出来事のために、共和制以降はウェスタのアトリウムは巫女の館を意味するものとなった。このアトリウムはネロの大火の際に焼失し、ネロによって再建されたと考えられている。またこのアトリウムはドミティアヌスやハドリアヌスなどによってしばしば修復された。 北側の塀には商店街が並んでいた。 |
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(39) 地図へ |
レーギア 宮殿 |
Regia |
このレーギア(宮殿)は、ローマ第二代の王ヌマが建てさせて住んだと言われている。また、最高神祇官(pontifex maximus)の住居とも言われる。しかし実際には居住地ではなく、祭壇を含む神聖な建物であり、また実際の最高神祇官の住居はドムス・プーブリカにあった(上記38を参照)。
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(40) 地図へ |
アントーニウス・ピウスと ファウスティナの神殿 |
Templum Antonini Pii Et Faustinae |
アントーニウス・ピウスが妻ファウスティナの死後すぐ、後141年に建てた神殿。アントーニウスの死後、後161年には、二人の神殿として捧げられた。
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(41) 地図へ |
ロームルス神殿 | Templum Divi Romuli | ローマを建国したロームルスための神殿と言われる。中心に円形の部屋があり、左右に長細い部屋が備わっている。 | ||
(42) 地図へ |
パークス図書館 | Bibliotheca Pacis | フォールムパーキスに付属する図書館。ここには、ウェスパシアヌスがエルサレムから略奪した財宝が多数置かれていた。 | ||
(43) 地図へ |
聖道 聖なる道 |
Sacra Via | 青線(水色線)の道は聖なる道(聖道)と呼ばれるもっとも重要な道。 コッロセウム(地図:50)から青線のとおりに、カピトーリーヌスの丘の至善至高のユピテル神殿(地図:2)までつながる道を指す。しかし元来は、ティトゥスの凱旋門(地図:49)があるあたりのウェリアの丘(Velia)から聖道は始まっており、その場所は「聖道の端(頂点)」(Summa Sacra Via)と呼ばれていた。後に、コロッセウムの前あたりまで含まれることとなった。 元首政(帝政)以前には、名前が付けられた道は「聖道」(Sacra Via)と「新道」(Via Nova、地図:32)しかなかった。また、「Sacra Via」という呼び方が一般的であり、「Via Sacra」という語順の呼び方は、詩以外ではまれであった。 |
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(44) 地図へ |
フォールム・パーキス | Forum Pacis | ウェスパシアヌスが後75年に建設した。建物には、パークス図書館(地図:42)、パークス神殿(地図:45)を含む。 | ||
(45) 地図へ |
パークス神殿 | Templum Pacis | パークス(平和の女神)のための神殿。ウェスパシアヌスが後75年に建設した。フォールム・パーキスに建てられている。 この神殿は後191年に焼失したが、203-211年のあいだにセプティミウス・セウェールスによって再建された。その時にパークス神殿内の壁を、都市ローマの地図(Forma Urbis Romae)で覆った。これは横18.10メートル、高さ13メートルの巨大な地図で、ローマの町が詳細に記されていた。現在ごく一部の残骸が発掘されいる。 |
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(46) 地図へ |
バシリカ・マクセンティイー バシリカ・コーンスタンティーニー |
Basilica Maxentii Basilica Constantini |
後308年マクセンティウスによって起工され、コーンスタンティーヌスによって完成された。そのために、マクセンティヌスのバシリカ、もしくはコーンスタンティーヌスのバシリカと呼ばれる。 他のバシリカと同じように、商業および行政のために使われた。 聖なる道(地図:43)側にはドミティアヌスが作った香辛料店街(Horrea Piperatica)があった。 このバシリカは、従来のバシリカとは異なり、身廊と側廊を隔てる列柱が排除されている。 |
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真珠職人の柱廊 ポルティクス・マルガリーターリア |
Porticus Margaritaria | この場所には、真珠職人(マルガリーターリア)を含む宝石職人や金細工職人を中心とする商店街があった。 | ||
(48) 地図へ |
ウェヌスとローマ神殿 | Templum Veneris et Romae | ハドリアヌスによって後121年に起工され、135年に完成した。「豊穣の女神ウェヌス」(Venus Felix)と、都市ローマの守護女神である「永遠の女神ローマ」(Roma
Aeterna)のために捧げられた。 この神殿には内陣となる二つの建物があり、背中あわせに建てられていた。コッロセウム(地図:50)側を向いていたのがウェヌスの殿舎で、フォルム(地図:23)側を向いていたのがローマの殿舎。 |
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(49) 地図へ |
ティトゥスの凱旋門 | Arcus Titi | 「ウェスパシアーヌスとティトゥスの凱旋門」(Arcus Vespasinani etTiti)とも呼ばれる。 後67年からティトゥスは父ウェスパシアーヌスとともにユダヤ人反乱鎮圧のためにパレスチナに向かう。70年にはイエルサレムを占領し、ユダヤ人の反乱(ユダヤ戦争)を平定した。80年もしくは81年に、ティトゥスの戦勝を記念して元老院によって建設された。この凱旋門には、そのユダヤ平定の様子が描き出されている。 |
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(50) 地図へ |
フラーウィウスの円形闘技場 コロッセウム |
Amphitheatrum Flavium Colosseum |
ティトゥス・フラーウィウス・ウェスパシアーヌス(一般的にウェスパシアーヌスと呼ばれる)が75年から起工し、同名の息子(一般的にティトゥスと呼ばれる)が80年に完成した。そのため、彼らの氏族名から正式には「フラーウィウスの円形闘技場」と呼ばれる。一般的にはコロッセウム(伊:コロッセオ) |
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地図へ | バシリカ 《戻る》 | Basilica | バシリカとは、中央に広いホールを有し、内部側面に柱廊を備え、屋根に覆われた大きな会堂のこと。私的にも公的にも、多目的に用いられた。フォルムに面した側は外部に開かれていることが多い。 | ||
現在のフォルム・ローマーヌム(Google Maps):航空写真 |
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このページの最終更新 2008/1/30 | |||||
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