現在フランスの首都であるパリは、起源が大変古く、紀元前4200年頃から人が住んでいた。紀元前250年頃から、パリシー族(Parisii)が住み始めた。彼らは、セーヌ川沿いのケルト人(Celtic Senones)の一派、すなわちガリア人(Galli)の一部族であった。パリという名称は、このパリシー族に由来する。
セーヌ川は、古代ではラテン語でセークアナ川(Sequana)と呼ばれていた。このセーヌ川の中州、シテ島に、上記のパリシー族はルテティア(Lutetia)という集落を作っていた(カエサル『ガリア戦記』第7巻57)。ただし、パリシー族の集落は、シテ島とは別の、今日では沈んでしまった島であるとする説もある。
そのルテティアは紀元前52年にローマによって征服される。この戦闘と取り巻く状況については、カエサル『ガリア戦記』に詳しい。その後、ローマはシテ島とセークアナ川(セーヌ川)の左岸(南側)にルテティアを拡大し、ローマの都市を建設します。
古代以来都市として機能してきたパリにおいては、古代ローマの遺跡群は現在の建物の下に静かに眠っています。建物が建ち、人々が暮らしているために、地下を掘り返してその遺跡を調査することは難しい状況です。しかし、現在のパリでも、古代ローマの面影を、いくつかの場所に見ることができます。以下では、その中のいくつかを、地図や写真を使って、紹介します。
ルテティアの都市構造: ルテティアの都市構造を地図で確認する
シテ島とセーヌ川: パリの始まりの場所
フォルム(広場): 古代ローマ時代のパリの中心地
公共浴場: 都市に欠かすことができなかった浴場の跡
円形闘技場: 市民を楽しませた闘技場の跡
採石場跡: 紀元後120-500年頃まで使われていた採石場の跡