「ローマ建国から」(ab urbe condita)の略年表を掲載します。
ローマ人は、トロイアから逃れたアエネーアースとラウレンテース人の王女ラーウィーニアを祖とする伝説がある。この物語はウェルギリウス『アエネーイス』やリーウィウス『ローマ建国史』で語られる。
略年表は、とりあえずロームルスが都市ローマを建国したところから始め、五賢帝時代くらいまでとした。
年については諸説ある場合や、伝説に基づいている場合が多い。
特に初期の歴史、共和政以前の王政の時期はほとんどすべて伝説として語られたものである。
今後、少しずつ情報を更新する予定。
年(紀元前) |
出来事 |
753 | 4月21日。伝説の王ロームルス(Romrus)によるローマ建国。 「ローマ方形原領域(ローマクアドラータ)」の建設。 【参照】 ローマの地理 |
753-717 | ロームルスの王位期間。 |
717-715 | 君主不在期間(interregnum)。100人の元老院議員による支配。 |
715-673 | ヌマ・ポンピリウス(Numa Pompilius)が第二代の王となる。 |
673-642 | トゥッルス・ホスティーリウス(Tullus Hostilius)が第三代の王となる。 |
642-617 | アンクス・マルキウス(Ancus Marcius)が第四代の王となる。 |
616-579 | エトルリア人のタルクィニウス・プリスクス(Tarquinius Priscus)が第五代の王となる。ローマがエトルリアに支配される。 |
579-535 | セルウィウス・トゥッリウス(Servius Tullius)が第六代の王となる。 |
577 | セルウィウス・トゥッリウスがケントゥリア制度を始める。 |
565頃 | ローマの七つの丘を囲む城壁(セルウィウスの城壁)を築く。 【参照】 ローマの地理 |
535-510 | タルクィニウス・スペルブス(傲慢王)が第七代の王となる。 |
509 | 王政の廃止、共和政が始まる。 ルーキウス・ユーニウス・ブルートゥス(L. Iunius Brutus)とルーキウス・タルクィニウス・コッラーティーヌス(L. Tarquinius Collatinus)が執政官(コーンスル)となる。 その後、ルーキウス・タルクィニウス・コッラーティーヌスは執政官職を辞し、プーブリウス・ウァレリウス(P. Valerius)が後任となる。 |
509 | カピトーリーヌス(カンピドッリオ)の丘にユピテル神殿が建設される。 【参照】 カピトーリーヌスの丘 |
496 | レーギルス湖の戦い。ラティーニー族を引き連れたタルクィニウス・スペルブスが、共和政ローマを転覆しようと戦闘を行った。 |
494 | 聖山事件。このころ貴族と民衆の間の対立が激しかった。激怒した民衆は聖山(Mons Sacer)と呼ばれるローマ近郊のアニオー川を越えたところの丘陵に立てこもる。この事件をきっかけに、平民の代表であり、民衆の身体と財産を擁護する不可侵の力を持つ護民官職が公に認められたらしい。また護民官を選出する平民会が創設された。 |
450 | 十二表法の制定。12枚の銅板に書き記された法。 |
445 | カヌレイウス法の制定。貴族(パトリキー)と平民(プレーブス)の結婚が合法化される。 |
443 | 監察官(ケンソル、Cernsor)創設。 |
421 | 財務官職(クアエストル、quaestor)がトリブス民会で選出することとなった。 |
396 | エトルリア人のウェイイー族を攻略。 |
390 | (もしくは、386)ガリア人がローマに侵攻し、一時ローマを占拠される。 |
367 | リキニウス・セクスティウス法の制定。執政官の一人は平民(プレブス)から選ばれることとなる。 |
343 | 第一次サムニウム戦争(〜341)。 |
341 | ラテン戦争(〜337)。 |
339 | 監察官職(ケンソル、Censor)を平民に開放。 |
338 | ラテン同盟の再編。ラティウム地方の支配権を確立する。 |
326 | 第二次サムニウム戦争(〜304)。 |
315 | (もしくは、314?)ラテン植民市ルケリアの建設。 |
312 | アッピウス街道の建設開始。 |
298 | 第三次サムニウム戦争(〜290)。ローマは、ガリア人とサムニウム人の連合に勝利して、イタリア中部の支配を確立する。 |
287 | ホルテンシウス法の制定。平民会の決議が、元老院の承認なしでローマ全体に対する拘束力を持つこととなった。 |
282 | タレントゥムと戦争(〜272)。ローマはこの戦いに勝利して、イタリア南部の支配を確立する。 |
280 | エペイロス王ピュッロスがタレントゥムに加勢してイタリアに進攻。275にローマ軍がピュッロス軍を破る。 |
273 | プトレマイオス朝エジプトと同盟を締結。 |
270 | このころまでに、ローマはイタリア全土の支配を確立。 |
264 | 第一次ポエニ戦争(〜241)。地中海全域の覇権をめぐって、ローマとカルタゴの戦いが始まる。 |
241 | 第一次ポエニ戦争の終結に伴って、シチリアがローマの最初の属州となる。 |
229 | 第一次イリュリア戦争。バルカン半島西部に位置するイリュリア人の王国とローマの戦い。 |
218 | 第二次ポエニ戦争(〜201)。ローマはカルタゴの将軍ハンニバルに苦しめられる。 |
216 | カンナエの戦い。イタリア南東部カンナエで、ローマ軍はカルタゴのハンニバルに大敗北を喫す。 |
214 | 第一次マケドニア戦争(〜205)。ローマとアンティゴノス朝マケドニアの戦い。 |
210頃 | アティリウス法の制定。政務官が保護者を失った未成年者に対して後見人を定める制度。 |
206 | ローマ軍がヒスパニア(スペイン)を制圧。 |
202 | ザマの戦い。北アフリカのザマで、大スキーピオー率いるローマ軍が、ハンニバル率いるカルタゴ軍を破る。 |
201 | カルタゴが降服。 |
200 | 第二次マケドニア戦争(〜197)。 |
197 | ヒスパニア(スペイン)に二つの属州を設置。 キノスケファライの戦い。ローマ軍がマケドニア軍を制圧。 |
196 | 「ギリシア人の自由」宣言。マケドニア傘下にあったギリシア諸都市に自由が保障された。 |
192 | シリア戦争(〜188)。ローマがセレウコス朝シリアを征服する。 |
171 | 第三次マケドニア戦争(〜168)。ローマが、168のピュドナの戦いでマケドニアに勝利。アンティゴノス朝が滅亡する。 |
169 | ウォコニウス法の制定。女性が一定以上遺産を相続することが禁じられる。 |
167 | 戦時負担金が廃止される。 |
155 | ルシタニア戦争。イベリア半島西方でルシタニア人が反乱。 |
154 | ヌマンティア戦争(ケルティベリア戦争)。イベリア半島中部でケルト=イベリア人が反乱。 |
153 | ローマの暦が1月からとなる。執政官の就任が1月1日からとなる。 【参照】古代ローマの暦 |
149 | 第三次ポエニ戦争(〜146)。ローマ軍が勝利。 第四次マケドニア戦争。ローマ軍が勝利。 |
146 | アカイア戦争。ギリシアで有力であったアカイア連邦とローマの戦い。ローマ軍の勝利。 |
135 | 第一回シチリア奴隷反乱(〜132)。 |
133 | ティベリウス=グラックスの改革。護民官であったティベリウス・センプロニウス・グラックスは有力者の公有地の私物化を制限するために、リキニウス・セクスティウス法で定められていた公有地の制限を実質的に行使しようと提案した。 ペルガモンがローマに遺贈される。 ティベリウス・センプロニウス・グラックスが暗殺される。 |
129 | 旧ペルガモン領に属州アシアを設置。 |
123 | ガーイウス=グラックスの改革。護民官であったガーイウス・センプロニウス・グラックスは兄ティベリウス・センプロニウス・グラックスの意志を継いで、さらに広範囲に及ぶ法案を提示した。 |
121 | ガーイウス・センプロニウス・グラックスが暗殺される。 このころより「内乱の一世紀」と呼ばれる時代が始まる。 |
113 | キンブリー・テウトニー戦争(〜101)。ドイツ北部に居住していたゲルマン人のキンブリー族とテウトニー族が南下を始めてローマに侵攻。ローマ軍は苦戦した。特に、105のアラウシオの戦いでは、キンブリー族とテウトニー族がローマに大勝。101にマリウスの活躍でこの進攻を阻止。 |
112 | ユグルタ戦争(〜105)。北アフリカのヌミディア王国の王位を奪ったユグルタ王と、ローマの戦い。105にスッラの外交政策で終結。 |
111 | 農地法成立。 |
107 | マリウスの軍制改革。ガーイウス・マリウスがローマ軍を強化するために行なった改革。この改革の結果、無産市民が職業軍人となり、軍人は国家との結びつきよりも、将軍個人との結びつきを重視することとなる。 |
100 | ガーイウス・マリウスが6度目の執政官になり、退役兵に土地を分配。マリウスはローマの実質的な権力を掌握する。 |
91 | 同盟市戦争(〜88)。イタリアの同盟諸都市がローマに対して蜂起。ローマが同盟市市民にローマ市民権を認めることで終結。 |
88 | イタリア諸都市の全自由民にローマ市民権を付与。 第一次ミトリダテス戦争(〜85)。黒海沿岸のポントス王国のミトリダテス6世がアテーナイなどの協力を得ながらローマに蜂起。 マリウスと軍事指揮権をめぐって激しく対立していた、ローマの将軍ルーキウス・コルネーリウス・スッラが都市ローマに進軍。都市ローマを制圧してマリウスを追放するが、スッラがミトリダテス軍を打つためにローマを発った直後に、マリウスは軍を率いてローマを制圧。マリウスはスッラ派を次々に殺して壊滅に追い込む。 |
86 | ガーイウス・マリウスが7度目の執政官に就任。その後すぐにマリウスは死去。マリウスとともに執政官を務めていたルーキウス・コルネーリウス・キンナが事実上のローマの実権を掌握。 |
84 | キンナが事故死。 |
83 | 第二次ミトリダテス戦争(〜81)。 |
81 | スッラがミトリダテス戦争からローマに帰還し、都市ローマを奪回。マリウスとキンナを失った民衆派を粛清。スッラは無期限の独裁官(ディクタートル、dictator)となり、実権を掌握。軍政の改革を断行。 |
80 | 改革を成し遂げたスッラが独裁官を辞任。引退。 ポンペイの円形劇場が建設される。 |
78 | スッラが死去。ポンペイウスが台頭する。 |
74 | 第三次ミトリダテス戦争(〜63)。 |
73 | スパルタクスの反乱(〜71)。剣闘士のスパルタクスを指導者とする奴隷反乱がイタリア全土に波及。イベリア半島でも反乱。 |
70 | ポンペイウスとクラッススが一度目の執政官に就任。 |
67 | ポンペイウスが特別命令権をえて海賊討伐。地中海の治安が安定へと向かう。 |
64 | ポンペイウスの対ミトリダテス戦争を終結へと導き、東方平定。ビテュニア・ポントス州、シリア州を設置。セレウコス朝シリア滅亡。 |
63 | キケローが執政官に就任。 カティリーナの陰謀(〜62)。ルーキウス・セルギウス・カティリーナが共和政ローマを転覆しようと陰謀を画策。 |
60 | グナエウス・ポンペイウス・マグヌス、ガーイウス・ユーリウス・カエサル、マールクス・リキニウス・クラッススの第一回三頭政治と呼ばれる非公式の政治協力が開始。 |
59 | カエサルが一度目の執政官に就任。 |
58 | カエサルがガリアに遠征(〜51)。勝利して、軍事力を背景に権力を増大させる。 |
55 | ポンペイウスがローマに劇場を建設。 |
54 | クラッススがパルティアへの遠征を開始。 |
53 | カルラエの戦い。カルラエで起こったパルティアとローマの戦いで、パルティアがクラッスス率いるローマ軍に大勝。敗戦後クラッススは死去。 |
49 | ポンペイウスとカエサルの対立が激化。カエサルが法で禁じられていたにもかかわらず、ルビコン川を渡ってローマに進軍。 |
48 | ファルサロスの戦い。カエサルがギリシア北部ファルサロスでポンペイウス軍を撃破。アフリカに逃れたポンペイウスが暗殺される。 ポンペイウスを追ってアレキサンドリア入りしたカエサルは、クレオパトラと同盟を結ぶ。 クレオパトラとカエサルはエジプトの実権を掌握。 |
47 | カエサルがアルメニアに遠征。ポントス軍を撃退。 |
46 | カエサルが10年任期の独裁官(dictator)に就任。 |
45 | 1月1日、カエサルがローマにユリウス暦を導入。 【参照】古代ローマの暦 |
44 | 2月、カエサルが終身独裁官(ディクタートル・ペルペトゥウス、dictator perpetuus)に就任。 3月15日、カエサルが暗殺される、 オクターウィアーヌスが護民官となる。 |
43 | ガーイウス・ユーリウス・カエサル・オクターウィアーヌス、マールクス・アントーニウス、マールクス・アエミリウス・レピドゥスが「国家再建のための三人委員」(tres viri rei publicae constiruendae)に指名され、第二次三頭政治が始まる。 |
42 | フィリッピの戦い。カエサルを暗殺したブルートゥスらの勢力を撃破。 |
40 | ブルンディシウム協約。 |
35 | アントニウスがパルティアを遠征。 |
32 | レピドゥスが力を弱めるなかで、オクターウィアーヌスとアントーニウスの対立が激化。 |
31 | アクティウムの海戦。ギリシア西部のアクティウムで、オクターウィアーヌスとアントーニウス・クレオパトラ連合軍が対決。オクターウィアーヌスが勝利。 |
30 | オクターウィアーヌスがエジプトを征服。アントーニウスとクレオパトラが自殺。プトレマイオス朝が滅亡。 「内乱の一世紀」が終わりを迎え「ローマの平和」(パックス・ロマーナ、pax romana)と呼ばれる時代が始まる。 |
29 | ローマに円形劇場が建設される。 凱旋したオクターウィアーヌスは、元老院で名簿の最初に名前が記されるプリンケプス(第一人者)となる。 |
27 | 1月13日、オクターウィアーヌスは全権(戦時非常大権)を返上し、共和政の復帰を宣言。 1月16日、元老院の決議と度重なる要請で、オクターウィアーヌスは元老院からアウグストゥス(Augustus)「尊厳者」の称号を得て、単独の支配権を得る。 一般的に、この時にローマの共和政が終わりを迎え、帝政、もしくは第一人者(プリンケプス)から、元首政(プリンキパトゥース政)が始まるとみなされる。 |
25 | マールクス・ウィープサーニウス・アグリッパによってパンテオンが建築される。 |
23 | アウグストゥスの属州支配権が拡大、すべての護民官権限が与えられる。 |
22 | 最後の監察官が選出される。 |
18 | 婚姻に関するユリウス諸法が制定。秩序の安定化を図る。 |
13 | マルケッルス劇場が建設される。 |
年(紀元後) |
出来事 |
2 | 元老院がオクターウィアーヌスに「国家の父」(pater patriae)の称号を与える。 |
6 | ドナウ川流域の属州パンノイアで大反乱がおこる。 |
9 | 現ドイツ領内のトイトブルクでローマ軍が大敗。これを機に侵略戦争を行なうことが極端に減り、内政を充実させる。 |
14 | オクターウィアーヌスが死去。ティベリウスが即位(〜37)。 9月17日、元老院がアウグストゥスを神格化する決議を下す。 |
37 | カリグラが即位(〜41)。 |
41 | カリグラが暗殺され、クラウディウスが即位(〜54)。 |
13 | クラウディウスがブリタンニアに遠征。属州ブリタンニアを設置。 |
54 | クラウディウスが暗殺される。 ネロが即位(〜68)。 |
64 | ローマの大火。 |
65 | ピーソーの陰謀発覚。セネカがネロによって陰謀加担の疑惑をかけられ、自殺。 |
66 | 第一次ユダヤ戦争(〜70)。 |
69 | ローマに内乱がおこり、ネロが自殺。 ウェスパシアヌスが即位(〜79)。 |
70 | ティトゥス指揮下のローマ軍がエルサレムを破壊。ユダヤ反乱を鎮圧。 |
77 | アグリコラがブリタニア・カレドニアに遠征。 |
79 | ティトゥスが即位(〜81)。 ウェスヴィオ火山が噴火して、ポンペイ等が埋没。 大プリニウス没。 |
80 | ローマのコロッセウムが完成。 |
81 | ドミティアヌスが即位(〜96)。 |
96 | ドミティアヌスが暗殺される。 ネルウァが即位(〜98)。 このときから五賢帝時代が始まる(〜180)。 |
98 | トラヤーヌスが即位(〜117)。 |
101 | ダキア戦争(〜106)。 |
106 | トラヤーヌスがダキアを属州とする。 |
117 | トラヤーヌスが、アルメニア・メソポタミアを併合。ローマが最大版図になる。トラヤーヌスはその帰還途中にトラキアで死去。 ハドリアヌスが即位(〜137)。 |
122 | ブリタンニアに「ハドリアヌスの長城」を建設。 |
124 | 焼失していたローマのパンテオンの再建が完成(今日見ることができるパンテオン)。 |
138 | アントニヌス・ピウスが即位(〜161)。 |
161 | マールクス・アウレーリウス・アントーニヌスが即位(〜180)。 |
162 | パルティアがローマ帝国内に侵入開始。 |
165 | 天然痘が流行。 |
180 | コンモドゥスが即位(〜192)。五賢帝時代が終わる。 |
189 | 天然痘が流行。 |