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シミエ(ケメネルム)

    シミエ(Cimiez)

南仏ニース近郊、シミエ(Cimiez)地区。マティス美術館(Matisse Museum)があるので多くの観光客が訪れています。

この地区には、美術館とともに、古代ローマ時代の遺跡が残っています。古代ローマ時代、このシミエ(Cimiez)の丘に、ケメネルム(Cemenelum)と呼ばれる町がありました。

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ケメネルムの歴史

シミエの丘にあったケメネルム(Cemenelum)の町は、紀元前3世紀ごろから存在していました。この町に住んでいたのは、リグリア地域(Liguria)の一部族、ウェディアンティー族(Vedianti)であると、プリニウス(『博物誌』3.47)は伝えています。

紀元前154年、ケメネルムはローマの支配下に置かれます。

この町は、イタリアから南仏の海岸沿いを通り、スペインへと続くローマの重要な街道、ウィア・ユーリア・アウグスタ(Via Julia Augusta)を守る要所として重視されるようになります。そして、紀元前14年、アウグストゥスがこの地方に属州アルプス・マリティマエ(Alpes Maritimae、「海沿いのアルプス地区」)を築き、ケメネルムがその首都となりました。

紀元後3世紀頃にケメネルムは大いに繁栄しました。人口は2万人に達していたようです。その時代に造られた浴場跡などを、現在も見ることができます。


ケメネルムの遺跡

遺跡の全体像

Cemelenum Map

①西浴場: 女性用の浴場
②東浴場: 男性用の浴場
③北浴場: 官職者用の浴場 (⑤紀元後1世紀の市壁跡)
④円形闘技場

地図から分かるように、ケメネルムには巨大な浴場群がありました。これはガリア地方で発掘された中で最大規模ものです。西浴場は女性用、東浴場は男性用、北浴場は官職者用の浴場だったようです。また、北西にある円形闘技場も残されています。

上記の①〜④をクリックしてください。それぞれの場所の詳細と画像へのリンクになっています。


シミエ(ケメネルム)の詳細

シミエの遺跡の詳細へ 西浴場の詳細

シミエの遺跡の詳細へ 東浴場の詳細

シミエの遺跡の詳細へ 北浴場の詳細

シミエの遺跡の詳細へ 円形闘技場の詳細


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