古代ローマはご存知のように長い歴史のなかで領土を地中海を中心に広げました。以下では時代ごとの版図の推移を表しています。版図は大雑把なものですので、参考程度にしてください。主要都市の位置を赤い丸で記しています。
紀元前500年ころから紀元後117年ころまでです。紀元前500年ころは、版図は現在のローマ市周辺しかありませんでした。117年ころはトラヤヌス帝の時代で、ローマの版図が最大になった時期です。
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地図の色が付いている部分が新たに加えられた地域です。
≪117年≫
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地図は地中海を中心にしています。東方にもっと領土が広がるのですが、そのあたりの地図はカットしてしまいました。最大版図は、最後の地図が表わすように東方はカスピ海や中東に至っています。南方はアフリカの地中海沿岸が中心です。ナイル川沿いにかなり内陸まで支配領域が及びますが、サハラ砂漠のところは、それほど内陸までは至っていません。北限はライン川とドナウ川の北部を境にしており、ブリテン島では現在のスコットランド以南くらいまで達しました。
当然ですが、国境線は時代によって少しずつ変わります。この地図はそれほど細かいところまではこだわっていません。また、例えば黒海にかかるトラキア人の地域は前168年ころにローマの従属国になっていましたが、紀元後46年に正式にローマに併合されました。実際にはローマと親密な関係にある地域であっても、併合年がローマの領土となった年と考えられます。そのような事情をこの地図から読み取ることは難しいです。