(1) ラテン文学とは、一般的にラテン語で書かれた著作を指し示します。
(2) ラテン文学に含まれるジャンルは、いわゆる「文学」だけでなく、悲劇、喜劇、哲学、弁論、歴史、科学、博物誌など、書かれたもの全般を対象にしています。
(3) 古代ローマの版図、現代ではヨーロッパや北アフリカを含む地中海世界を中心とした地域で発展しました。
(4) 時代は、紀元前3世紀頃から紀元後4世紀頃までを区切りとします。
ラテン文学とは、上述したようにラテン語で書かれた作品を指し示します。しかし、紀元後4世紀以降のラテン語作品については、一般的にはラテン文学とは呼びません。たとえば、中世の教父が書いた作品もラテン語で書かれていました。さらには、17世紀に書かれたニュートンの論文もラテン語でした。ラテン語自体はヨーロッパの共通語として近世まで使われてきたのです。
しかし、4世紀以降と、それ以前では、ヨーロッパの文化は大きく変わります。この頃にローマ帝国は東西に分かれ、またキリスト教教父が文化活動の中心を担うようになったからです。そのために、古代ローマの文化圏に含まれる「ラテン文学」は、4世紀以頃までとみなされています。もちろん、いつまでを古代ローマと定めるかということについては、人によって見解は分かれるのですが・・・。
また、この紀元前3世紀頃から紀元後4世紀頃のあいだに、地中海で執筆された作品であっても、ギリシア語で書かれた作品はラテン文学には含まれず、ギリシア文学、もしくはヘレニズム文学などと呼ばれます。ギリシア語はアレクサンドロス大王の広大な版図のなかで、共通語とされ、ローマ支配下でもたくさんのギリシア語作品が残っています。
たとえば、ギリシア人の歴史家ポリュビオスは紀元前2世紀頃にローマの歴史を中心に『歴史』という書物を書き上げました。彼は都市ローマで小スキーピオーの庇護をも受けました。しかし、彼の作品はギリシア語で書かれているので、ラテン文学とは呼ばれません。
ジャンルに関しては、現代の「文学」の定義よりも広い範囲を指し示しています。作品の内容にとらわれず、ラテン語で書かれたものすべてと考えてかまわないと思います。
ラテン文学では、内容よりも、むしろ書かれた形態によって区分されることが多いです。そして最も大きな区分は、「韻文」と「散文」です。
「韻文」とは、韻律を持つ作品であり、「散文」とは韻律を持たないものを指します。韻律とは、短歌が持つ「五七五七七」のような感じの一定のリズムのことで、様々な種類があります(「ラテン文学の韻律」参照)。詩や悲劇など、多くの作品が韻文に該当します。「散文」とは私たちが日ごろ使っているような、韻律を持たない普通の文章です。とはいえ、キケローを代表とするような著作家によって、散文の技術が非常に発達したので、普通の文章と言ってもかなり技巧的です。
また、ラテン文学のひとつの特徴は、「書かれたもの」であることです。
ギリシア文学はホメーロスから始まる口承伝統に基づいています。つまり、ギリシア文学は文字に書くのではなく、口頭で作品を伝えることを基本としていました。これはギリシア悲劇などにもあてはまる特質です。悲劇はその場でだけ上演され、シェークスピアのように台本が読まれることはありませんでした。「書かれたもの」としてギリシア文学の作品が読まれたり、残されたりし始めたのは紀元前4世紀に入ってからであり、本格的に書物として形に残ったのはアレキサンドリアの学者たちの手によってでした。
ギリシア文学に対して、ラテン文学は最初から「書かれたもの」として存在しました。叙事詩に関しても、悲劇や喜劇についてでさえ、書物として意識されていました。実際に、セネカの悲劇の多くは上演されなかったと思われます。また、ラテン文学で発展を遂げた演説や弁論も広く読まれていました。
また面白いことに、「手紙」も作品として出版されました。キケローやセネカの書簡集は、実存する人物に対する個人的な手紙です。しかし、その手紙もまた刊行されることを念頭において書かれていました。ラテン文学においては、書くという行為が公の行いであったと言うこともできるかもしれません。
ただし、ラテン文学においても、書物を黙読することはなかったと思われます。読書をするときには必ず音読をしていました。もしくは、専用の奴隷に読みあげさせていました。現在の私たちは黙読を基本にしていますが、それはごく近世に入ってからの営みだと考えられています。欧米文化における朗誦の伝統や、スピーチ、演説の基礎はラテン文学から続く文化なのです。