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古代ローマの貨幣と物の値段 古代ローマの貨幣について考えてみたいと思います。貨幣価値については、意見がさまざまあると思いますが、河島の感覚で、2007年現在の日本の貨幣価値に置き換えます。 |
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ローマでは紀元前3世紀初頭から独自の貨幣が用いられた。その後、アウグストゥスが紀元前24年に貨幣制度を改革し、貨幣体系が確立する。ただし、彼は改革以前にあった単位を大部分継承しているので、前24年以前と全く違う貨幣体制ができたわけではない。特に紀元前46年にカエサルのもとで行なわれた鋳造策によって、貨幣体制は実質的に出来上がっていた。そのために、考察はそれ以降の年代を対象とする。 【参考】 1ローマン・ポンドの金塊から作られる金貨の数 対象:紀元前46年から紀元後1世紀末 |
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古代ローマ人の主食は「小麦」だった。そのために、小麦の価格は貨幣の価値を判断するのに役立つであろう。 ・小麦1モディウス(6.55キログラム): ローマでの平均価格は3セステルティウス(12アス) 1人1日分の小麦量: 約1キログラムは1.83アスとなる。 【参考】 大麦1モディウス(6.55キログラム): 1.5セステルティウス(6アス) 1人1日分のパンの値段: 2アス |
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古山『西洋古代史料集』では1アスを80円と仮定している。長谷川『古代ローマを知る辞典』は、現代の小麦の値段と、当時の小麦の取引額を元に1アスを100円と仮定するが、単純な比較はできないとする。 河島は貨幣価値を考えるときに、パンの値段を基準にするのが最も妥当であろうと思う。今日でもそうであるように、ヨーロッパにおいては主食であるパンの値段はとても安い。パンは人が生きていくために最低限度必要なものだから。 1人1日分のパンの値段: 2アス このような情報から、河島の独断的な感覚では1アスは50円から100円くらい。おそらく1アス80円と仮定する『西洋古代資料集』は妥当であろう。 この貨幣価値を便宜的に当てはめて、以下では考察を行なう。あくまでもイメージしやすくするための仮定です。 1アス= 80円 |
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・「下の下」の生活 ・「上の下」の生活 ・また、このように年間2万セステルティウスで生活するローマ市民1人が、質素に暮らしつつも必要な奴隷の数は最低2人とみなされている。 |
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あるポンペイの家の5日間の買い物、特に指定の無い単位はアス
居酒屋にて(青柳、『ポンペイ・グラフィティ』 p.120:CIL IV 1679) 入浴料(青柳、『ポンペイの遺産』 p.54-55) ・10日が他の日と比べて豪華なのは、おそらく何らかの祭りの日だったと思われる。 これだけの数字ではほとんど何も分からないが、単純に概算してしまうと、この家(家族4人、奴隷2人)の年間支出額(食費)は18250アス。少し多めに見積もって、約2万アスとする。 おそらくこの家の奴隷の数が2人というのは、せいぜい「中の中」、もしくは「中の下」くらいの生活レヴェルだと思われる。そこでさらに大雑把に、この家の食費が年収の半分だと仮定した場合、この家の年収は1万セステルティウス (320万円)。 この額は、最低生活レヴェルの400セステルティウス(家族4人)よりはだいぶ多い。しかし、市民としてみっともなくない程度といわれる2万セステルティウス(1人分、「上の下」の生活)の半分。ローマ市よりもポンペイの方がだいぶ物価が安かったとみなされていることを考慮しても、生活レヴェルは「中の中」もしくは「中の下」くらいであろう。 |
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・家賃: 「上の下」の生活レヴェルを送る人の家賃は、年間2000~6000セステルティウス (64万~192万円) ・葡萄酒: 1アンポラ (26.2リットル) 100~400セステルティウス (32000~128000円) ・趣向品 ・剣闘士の購入費: 1000~15000セステルティウス (32万円~480万円) ・一般的な葬儀費用: およそ300セステルティウス (9万6千円) |
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以下は小プリニウス(61-112年)の財産に関する見積もり(Cf. 長谷川『古代ローマを知る辞典』 p.304) 小プリニウス: 1世紀末の元老院議員 北イタリアの農園: 毎年80~100万セステルティウス (2億5600万~3億2000万円) 役職手当: 年間100万セステルティウス以下、例えば70万セステルティウス (2億2400万円) 総収入: およそ150万セステルティウス (4億8000万円)くらいか 奴隷の数: 所有する奴隷の数は少なくとも500人 財産総額: 2000万セステルティウス (64億円) (弓削『ローマはなぜ滅んだか』による試算) この小プリニウスは自分が「中くらいの資産家」だと述べている。「中くらい」というのは、「上の中」レヴェルの生活水準ということだろう。 |
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以下は国家財政の一例 紀元前62年の場合の国家財政 軍事費の一例: 軍団兵、護衛隊兵、都警隊長の給料のみで年間2億セステルティウス (640億円) 人件費の一例 祭費の一例 国道建設費: 1(ローマ)マイル(1480メートル)ごとに10万セステルティウス (3200万円) 穀物費: 20万人の無償受給者に対する費用だけで、年間48万セステルティウス (1億5360万円) 【参考】 紀元前168年の国家財政 (ただし時代が100ほど古いので貨幣価値は上記とは異なるだろう) |
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ローマ市民のすべて、または一部は、毎月一定量の小麦を廉価または無料で受け取ることができた。これは紀元前123年に護民官のガーイウス・グラックスが定めた穀物を安価に販売する法律に端を発する。その後この穀物供給の考えは様々な仕方で継承され、皇帝による贈与行為等として帝政末まで続く。 ただし、この行為は今日の福祉政策や生活保護とは性質を異にしていた。グラックスの穀物法は貧富の差を問わず誰でも一定額で小麦を購入することができる一方で、購入量の制限があった。これは主食である小麦の安定供給を目指し、飢饉や過剰な値上がりを抑える目的を持っていた。 このような贈与行為等は「パンとサーカス」とか「パンと競技」と一般に言われるものであり、ローマのひとつの特徴を為す。贈与行為は皇帝によって行なわれるばかりでなく、有力市民によっても行なわれ、その内容も大小さまざまであった。目的も人気取りや名誉のためなど多様であったらしい。以下には、その一部を例示する。 カエリア・マクリナという女性の場合 ・100人の少年と100人の少女の扶養のために住民の少年一人当たり毎月5デーナーリウス(6400円)、少女一人当たり毎月4デーナーリウス(5120円)を、少年は16歳まで、少女は14歳まで、与えられること。 すなわち、この女性は少年少女の扶養のための基金を設置したのである。 小プリニウスの場合 ・浴場の建設のために: ?(判読不能)セステルティウス ・自分の解放奴隷100人の扶養のために: 186万6666セステルティウス (5億9733万3120円) ・都市の少年少女の扶養のため: 50万セステルティウス (1億6000万円) 最後の二つの贈与は生前に行ない、それ以外の贈与は遺言に従って実行した。 |
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・Adkins, Lesley and Roy A. Adkins. Handbook to Life in Ancient Rome. Oxford. Oxford University Press. 1994 |
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このページの最終更新日: 2007/12/22 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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