サンリスの歴史_Via della Gatta
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サンリスの歴史

    サンリスの歴史

 サンリスは小高い丘に建設された小さな街で、古代においてはスルバネクテース(sulbanectes)もしくは「シルウァネクテース」(Silvanectes)と呼ばれるガリア人(ケルト人)の一部族の一都市だった。紀元前8世紀ごろにローマによって支配され、元首政初期には「アウグストマグス」(Augustomagus)という名前で知られていた。シルウァネクテースという名は、この街を取り囲んでいた「森」、すなわち「シルウァ」(silva)と関連付けられていると思われる。
 このスルバネクテース、もしくはシルウァネクテースが、今日の「サンリス」(Senlis)の名前の由来であると考えられている。

 紀元前3世紀ごろに、フランク族の侵入に対抗するために、この街は市壁によって囲まれた。この市壁は28の塔を持ち、高さ7メートル、長さ840メートル、厚さ4メートル。
 この市壁は緊急のために2年間で作られた。そのために、街の建物や柱などの石を切り出して作った。2-3世紀の建物の一部や柱の再利用の痕跡が、市壁から発掘されている。
 下の写真はこの紀元前3世紀ごろに造られた市壁。現在でもその多くが残されている。建物の一部として利用されており、古代建築の中に生活がある。門が付いている写真は、市壁の搭の部分。
 Google Mapsによるサンリスの空中写真:紀元前3世紀の市壁が丸く街を取り囲んでいるのが分かる

市壁     市壁     市壁
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市壁
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 ローマ時代に建設された円形闘技場は、1万人分の客席を持ち、市壁から西500メートルの位置にあった。現在でもその遺構を見ることができる。円形闘技場は、剣闘士(グラディエーター)の対決のような、いわゆる闘技ばかりではなく、人々の集会や演劇などにも使われた。
 円形闘技場が人口密集地である市壁内から少し離れた位置にあるのは、建設当時の地形や空地が原因かもしれない。しかし、このように人口密集地から少し離れた場所に円形闘技場を作る傾向はローマの地方都市、とりわけガリア地域にしばしば見られる。そのような場所に円形闘技場が造られたのは、市壁内の平民だけでなく、周辺に住む村人などのための施設として意識されていたことが原因であると考えられる。
 Google Mapsによる円形闘技場の空中写真

 西フランク王国のカロリング朝が断絶したあと、987年にパリ伯ユーグ・カペーがフランス王に選出され、カペー朝が始まった。その王の選挙が、このサンリスで行われた。それ以降、1830年のフランス7月革命で失脚したシャルル10世に至るフランス王がこの街を訪れている。

 フィリップ・オーギュスト(1181)からフィリップ・ルベル(1285)の時代に、サンリスは街の周辺を守るための第二の市壁を建設する。この市壁が現在のサンリスの街を形成している。第二の、外側の市壁に囲まれた地域は40ヘクタールほど。現在もその姿をとどめている。13世紀に造られたこの外側の市壁の上は、現在道路になっており、歩くことができる。下の写真はその市壁の上から撮ったもの。
 Google Mapsによる空中写真:中心に紀元前3世紀の市壁が街を取り囲み、その外側にさらに13世紀の市壁が取り囲んでいるのが分かる。13世紀の市壁は街路樹を伴った道路なので、木々の緑が濃くなっている。

市壁     市壁
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 17-18世紀にかけて、街の有力者が美しいアーチ型の門を構えた邸宅を建てた。また、多くの修道会がサンリスに造られた。下の写真はそのようなアーチ型の門構えの邸宅。

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