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スイスの標語:一人はすべてのために

    スイスの標語:「一人はすべてのために、すべては一人のために」

 「一人はすべてのために、すべては一人のために」という言葉をご存知でしょうか。私は子供の頃に観た『アニメ三銃士』(?)で聞いたのが初めてだったように思います。前回は数字の1にスポットを当てたので、今回は1(unus)を使った格言の紹介です。


「一人はすべてのために、すべては一人のために」から考えるラテン語

 この言葉はもともとアレクサンドル・デュマの『三銃士』(ダルタニャン物語 第一部)に出てくる、un pour tous, tous pour un の訳語です。フランス語です。スポーツチームや企業、社会的な組織など、世界中の多くの団体の標語になっている。そのなかで、この言葉のラテン語の表記 unus pro omnibus, omnes pro uno (ウーヌス・プロ・オムニブス、オムネース・プロ・ウーノー)「一人はすべてのために、すべては一人のために」が、スイスの伝統的な国の標語になっています。

 なぜスイスの標語がラテン語なのでしょうか?

 「スイス語」という言語はありません。スイスの公用語は4つ定められています。ドイツ語、フランス語、イタリア語、ロマンシュ語です。多くの国民が、この4つの言語のどれかを母語としています(もちろんその他の言語を母語とする人もいます)。国の定める言語が4つもあるわけですから、公式な文書は4つの言語で並列に表記されます。標識なども複数の言語で表記されることが多いです。最近では、英語も使われるので、ひとつの意味を持つ標識を5つの言語で表すこともあるわけです。

 さらには、「スイス連邦」という国名も4つの言語でそれぞれ違っています。ドイツ語では「シュヴァイツ」、フランス語では「シュイス」、イタリア語では「ズヴィッツェラ」、ロマンシュ語では「スヴィツラ」です。この4つはすべて「スイス」を指し示しています。以下のように綴りも異なりますが、すべて「スイス連邦」を表しています。

 ドイツ語:「Schweizerische Eidgenossenschaft」
 フランス語:「Confédération Suisse」
 イタリア語:「Confederazione Svizzera」
 ロマンシュ語:「Confederaziun Svizra」

自分の国の名前が4種類もあるというのは、日本ではなかなか考えにくい状況です。スイスでも時にそれは問題になります。そのひとつは略号の表記です。

 日本では「JP」という略号を使います。ドメインの最後などにも「~.jp」を使うことがあります。スイスの場合では、「~.ch」になります。当然何かの頭文字だろうと推測できますが、上の4つの言語で表した国名のどの頭文字にも当てはまりません。実は、スイスにはもうひとつ、ラテン語の国名があります。

 ラテン語:「Confoederatio Helvetica」

このラテン語で表した国名の頭文字が「CH」となるわけです。「4つの公用語のどの言語を優先するわけでもなく、それ以外の言語で表した国名が必要だ」そう考えたときに、ヨーロッパ文化の基礎となるラテン語が候補に挙がるわけです。このラテン語の「Confoederatio Helvetica」がスイスの正式名称になっています。とりわけ貨幣など、4つの言語で表記するスペースがない場合には、このラテン語名が使われています。

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Wikimedia Commons

 ちなみに、Confoederatio は「連邦」を表しています。Helvetica(ヘルウェーティカ)の部分は「ヘルウェーティー族」という意味を持ちます。ヘルウェーティー族は紀元前1世紀ごろ、現在のスイスの地域を拠点としていたケルト系の諸部族です。その諸部族を総称してヘルウェーティー族と呼んでいました。カエサルの『ガリア戦記』などでたびたび言及されています。ヘルウェーティー族が拠点としていた地域、その意味から現在のスイスのラテン語名が作られているわけです。

 さて、「一人はすべてのために、すべては一人のために」のはなしに戻りましょう。当然ですが、この標語は4つの各言語で表わされます。

 ドイツ語:einer für alle, alle für einen
 フランス語:un pour tous, tous pour un
 イタリア語:uno per tutti, tutti per uno
 ロマンシュ語:in per tuts, tuts per in

ラテン語の言葉がスイスの標語になっているのは、国の正式名称がラテン語で定められていることからも推測できるように、中立の立場にある言語だからです。

 実はこのことはラテン語を考えるときに重要です。ラテン語は、誰にとっても母語ではありません。それにもかかわらず、共通語として長くヨーロッパで使われてきました。共通語としてのラテン語。この性格が「一人はすべてのために、すべては一人のために」というスイスのラテン語標語にも表れているのです。

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スイスの連邦議会議事堂 Wikimedia Commons


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